神戸地方裁判所 昭和39年(ワ)1322号 判決 1966年11月17日
主文
原告両名が、各々別紙目録(一)記載の各土地につき各八分の一宛の持分を有することを確認する。
被告は、原告両名に対し、別紙目録(一)記載の各土地につき昭和三三年七月一八日になした遺留分減殺を原因として各八分の一宛の持分移転登記手続をせよ。
原告両名のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告の求める判決
「原告等が、各々別紙目録(二)記載の各土地につき各六分の一宛の持分を有することを確認する。
被告は、原告等に対し、別紙目録(二)記載の各土地につき昭和三三年七月一八日付遺留分減殺を登記原因とする各六分の一宛の持分移転登記手続をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。」
被告の求める判決
「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」
原告等の請求原因
(一)、原告両名と被告の実父である小西定平は昭和三二年一二月七日死亡し、その相続人は右三名の他、亡小西定平の長男亡小西薫の代襲者である訴外小西巌雄、孝夫の五名であり原告両名の法定相続分はいずれも四分の一である。
(二)、亡小西定平は死亡当時別紙目録(二)記載の各土地を所有していた。
(三)、原告伊田千代子は昭和三三年三月一七日、他の四名の相続人を相手方として神戸家庭裁判所に昭和三三年(家イ)第一二五号、遺産分割調停事件を申立てたが、調停開始後約二ケ月位経過した時、被告より神戸地方法務局所属公証人栗岡善一郎作成第七三、二八八号遺言公正証書が提出された。右公正証書は、昭和三二年九月一四日右公証人役場で小西定平の嘱託により作成され、遺言の趣旨は、(一)小西定平所有の不動産、動産等全部を被告に遺贈する。遺言執行者として神戸市生田区多聞通一丁目一七、司法書士、香山源次を指定する。(二)他の相続人に対しては婚姻の際等において、各々、小西定平から相当の贈与をしてあるので遺産の分与をしない。旨記載されていた。
しかし、原告等は亡小西定平からとりたてていう程の贈与を受けたことはなく、右遺言により明らかに遺留分を侵害されている。原告等は右遺言の提示を受け各自の遺留分を侵害されている事実を知つたので遅くとも、昭和三三年七月一八日の調停期日までに被告に対し遺留分減殺の意思表示をした。右の意思表示により原告等は別紙目録(二)記載の各土地について各六分の一宛の共有持分を有するに至つた。
(四)、ところが、被告は、前記公正証書遺言の遺言執行者である訴外香山源次が昭和三八年三月頃死亡していたので神戸家庭裁判所に昭和三九年(家)第九一五号遺言執行者選任審判事件を申立て、神戸家庭裁判所は、昭和三九年七月一三日嶋田ヨシコを遺言執行者として選任した。右遺言執行者は、別紙目録(二)記載の各土地につき、神戸地方法務局昭和三九年八月六日受付第一五、三八七号をもつて昭和三二年一二月七日付遺贈を登記原因とする被告への所有権移転登記手続を完了した。
(五)、よつて原告等は被告に対し、遺留分減殺請求権行使の結果による別紙目録(二)記載の各土地について各六分の一宛の持分を持つているのでその持分の確認と持分移転登記手続とを求める。」
被告の答弁及び抗弁
請求原因一項は認める。同二項に対しては次(一)の通りである。同三項中、亡小西定平の公正証書遺言の内容が原告等の遺留分を侵害していること及び原告等が遺留分減殺の意思表示をなしたことは否認し、その余は認める。同四項は認める。
(一)、小西定平は別紙目録(二)の土地を所有していたところ、土地区画整理による仮換地が指定され、その減歩率は〇・一九九〇五である。定平は昭和三〇年六月一五日右土地のうち一番の七宅地の一部(仮換地の坪数で一一坪〇五、之を右減歩率で計算すると従前地一三坪八)を寺内重吉に売渡し(登記未了)ていたから、定平死亡当時の遺産は右一番の七の残地八六坪三八、同所一番の八、宅地一一坪三七である。(別紙目録(一))
(二)、原告等は遺留分の減殺をすべき遺贈があつたことを知つた時から一年間減殺請求を行わなかつたものであるから、時効により遅くとも昭和三四年五月頃には遺留分減殺請求権は消滅しており被告は本訴において右時効を援用する。
(三)、原告等は亡小西定平より、それぞれ婚姻の際、相当の贈与を受けておりこれは民法九〇三条の特別受益でありその価格は遺留分算定の基礎となる財産の価額に算定されるものであり、その価格は原告等の主張する六分の一の遺留分の価格以上であるので原告等の遺留分は何ら侵害されていない。
右の抗弁に対する原告の答弁
被告の抗弁はすべて否認する。
立証(省略)
理由
(一)、亡小西定平が昭和三二年一二月七日死亡し、その相続人は原告両名、被告及び亡小西定平の長男である亡小西薫の代襲者である訴外小西巌雄、孝夫の五名であり、原告両名の被相続人亡小西定平に対する法定相続分はいずれも四分の一であることは当事者間に争がない。
(二)、原告等は亡小西定平が遺産として残した土地は別紙(二)の通りであるというているが成立に争のない乙一号証、証人寺内重吉、被告本人尋問の結果によれば移転登記手続は済んでいないが生田区加納町四丁目一番の七の土地のうち仮換地坪数で一一坪五勺(寺内重吉所有建物の敷地)は昭和三〇年六月一五日亡小西定平が寺内重吉に売渡済なることが認められるから、右一番の七の残地は被告の認める八六坪三八であつて、亡小西定平の残した土地は別紙目録(一)記載の限度で争のないものと認めるのを相当とする。而して右各土地が現在、被告名義となつていることは当事者間に争がない。
(三)、原告伊田千代子が昭和三三年三月一七日、他の四名の相続人を相手方として神戸家庭裁判所に遺産分割の調停を申立て、その調停期日に被告より、亡小西定平の遺言公正証書が原告等に呈示され、その遺言には、亡小西定平の遺産は全部被告に遺贈する旨の記載があることについては当事者間に争がない。
而して証人小西キミヱと原告両名本人尋問の結果と成立に争のない甲一号証によれば原告等が右の遺言公正証書の呈示を受けたのは前記調停期日が四、五回開かれて后で原告等が原告等の遺留分の侵害されている事実を知りこれを意外とし尚分割を求めたのはそのときのことでありその日付は遅くとも昭和三三年七月一八日の調停期日であつたことが認められるので原告等はその頃被告に対し遺留分減殺の意思表示を為したというのを相当とする。されば原告等は遺留分侵害の事実を知つたときから一年以内に遺留分減殺の意思表示を為したのであるから被告の時効の抗弁は理由がない。
次に原告等は亡小西定平より婚姻の際、相当の贈与を受けておりこれは民法第九〇三条の特別受益にあたるとの被告の抗弁について判断するに、贈与の物件及び価額については、被告本人も知らないと供述しており、之を認むべき資料がないのみならず、原告両名の本人尋問の結果によると、原告両名は何れも戦前他家へ嫁いだものであるが嫁ぐ際は亡父の先妻の子との関係や当時は家庭が裕福でなかつたような事情もあつて特別な仕度をして貰つた事実がないことが認められ、むしろ原告伊田本人及び被告本人尋問の結果によると被告は昭和一七年亡父から別の土地を貰い、大学まで学ばせて貰つていることが認められるので被告のこの主張は採用するに由ない。
されば原告両名は遺留分減殺の結果別紙目録(一)記載の各土地について、それぞれ八分の一宛の持分を有することは明らかである。そして、現在右土地は全部被告名義となつているから、被告は原告等の右持分を確認し、原告等に対し右持分の移転登記を為すべき義務を負うことは明らかである。原告等は持分を各六分の一と主張するが、遺留分の割合は各相続人につき一定し、他の相続人に存する事由により影響されないから(民法一〇四三条二項参照)右主張は失当である。
よつて、原告の本訴請求は右認定の限度において理由があると認めて認容し、その他を棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。
(別紙)
目録(一)
一、神戸市生田区加納町四丁目一番の七
宅地 八六坪三八
一、右同所一番の八
宅地 一一坪三七
目録(二)
一、神戸市生田区加納町四丁目一番の七
宅地 一〇〇坪一八
一、右同所一番の八
宅地 一一坪三七